布半に滞在し、くつろぐ島木赤彦。 現在の赤彦の間。大正9年に、諏訪市中町
より諏訪湖畔に移築されました。
  布半から諏訪湖へボートにのって散策する島木赤彦。 大正13年5月13日
   
斎藤茂吉から島木赤彦(本名:久保田俊彦)
へのはがき。はがきの絵は、画家でもあり
歌人でもあった平福百穂によるもの。
島木赤彦直筆の手紙も。
  「布半」の娘
  斎藤茂吉が初めて信濃を訪れたのは、大正二年七月二十七日で、上諏訪町の布半旅館で宿泊している。茂吉が、諏訪滞在の宿を同旅館と決めたのは、島木赤彦の紹介からであろう。そこは、赤彦が前々から常宿のようにしていた処である。
  茂吉の「赤彦君追憶」の中には、このときの「布半」での生活に触れている。
  七月廿日ごろ、僕は赤彦君を東京に残して、一足先きに信州へ立った。上諏訪町の布半旅館に着くと友からいろいろもてなしを受けて東京の左千夫先生や千樫君等へ通信もせずに日を過ごした。当時郡視学をしてゐた赤彦君に知られると具合が悪い、赤彦君の帰らないうちがいいと言ふので、一夜上諏訪の遊郭に遊びに行ったりなどした。昼は暑くとも朝夕諏訪湖の面を吹いて来る風は流石に涼しい。息づまるやうな、都会の狂人守の生活からしばし離れて、僕の心はゆったりしてゐる。ある夜湯槽のなかで、美しい布半の娘と山の話をしたりなどした。
  茂吉の文章に登場する「布半」の娘は、うめといって、当時十九歳であった。「布半」は、十二人の子福者で、うめはその長女であった。上諏訪の高島小学校時代には、赤彦の教え子でもあった。のちに、うめの末娘幸子が赤彦の童話を読んでいたとき、「私はその先生に教わった」と語ったそうである。
 
作家
島木赤彦・新田次郎・太宰治・島崎藤村・宮本輝・西村京太郎
松本清張・宮尾登美子・斎藤茂吉
芸能人・アナウンサー
美空ひばり・三船敏郎・西村晃・草刈民代・筑紫哲也・間寛平・笠知衆・福留功男アナ
スポーツ
青木功・中島常行・広岡(元)監督・川上(元)監督・西本(元)監督
映画監督
五所平之介・篠田正浩